Manchester City FCクラブの歴史

Manchester Cityチケット販売画面に戻る


マンチェスター・シティFC 詳細

設立: 1880年
現会長: Khaldoon Al Mubarak
 
獲得タイトル
プレミアリーグ4度   
コミュニティーシールド4度
FAカップ5 度
リーグカップ3 度
UEFAカップウィナーズカップ1 度

 

クラブの歩み

Manchester Cityの基となるクラブは1880年にSan Marco教会のメンバーによって設立され、1894年にMark’s 氏などの提案により、現行の名称Manchester City Football Clubと改名された
 
設立当初のクラブは英国ファースト・ディビジョンにて順調なスタートを切ることとなる。シティにとって初めてのタイトルは1904年であった。FA Cup決勝にてボルトン・ワンダラーズを破り、マンチェスターのクラブとして初めての優勝カップを手にした。
 
しかしながら、クラブの栄光は長続きせず、1920年代には経営の危機に陥り、チ-ムの成績もそれに伴って低迷期していく。1923年のハイド・ロ-ドスタジアムが火事で全焼したため、直ちにメインロ-ドへの移転を余儀なくされた。Maine Roadスタジアムは2003年までの長い間利用され、80年もの間愛されたスタジアムは今でもファンの心に深く思い出として残っている。


待望のリーグ初タイトル獲得

1930年代に入ると、クラブは上昇気流に乗り、1935年にはFA Cupを制覇、1936~37シーズンには初めてリ-グチャンピオンシップを制覇した。チャンピオンシップ優勝もつかの間、チ-ムは求心力を失い、セカンド・ディビジョンへと降格していくこととなる。
その後、全世界は第2次大戦へと突入し、空襲の影響でオールド・トラッフォードスタジアムは大損害を受け、利用不可となり、シティは永遠のライバルであるユナイテッドとスタジアムを共有する羽目となる。


3部リーグ地獄への降格 と新会長就任後の躍進

長らく続いた低迷期のトンネルを通り抜け、シティは再び栄光の舞台へと戻って来る。 1997~98シーズンまで、ライバルのユナイテッドがプレミアリ-グ及び欧州制覇をしている黄金期に、シティは2部と3部リーグを行きする地獄とも思われる低迷期を過ごしていた。しかしながら、David Bernstein氏が会長に就任した1998年よりクラブの予算も大幅に増加し、チ-ムも徐々に強化され、以前のように2部リ-グ降格するような事態は避けるようになった。
 
2001~02シーズンには監督に元イングランド代表で往年の名手ケビン・キーガン氏を迎え、ディヴィジョン1にて優勝し、チームをプレミアリーグ昇格へと導いた。翌2002~03年はMaine Roadスタジアムでの最後のシ-ズンとなり、2003年より現行のEtihad Stadiumへと移行することとなった。なお、以前の名称はCity of Manchester Stadium。Maine Roadスタジアムでの最後の試合の対戦相手は永遠のライバルであるユナイテッドであった。試合はホームのシティが宿敵ユナイテッドを下し、実に13年振りの勝利の美酒を味わうこととなる。

2008年9月にタイのタクシン会長がオーナー権をUAEの投資グループのアブダビ・ユナイテッド・グループへ売却し、クラブの予算は大幅に拡大しクラブは数々の有名プレーヤーを獲得していく。ロビーニョ獲得にはレアル・マドリードに移籍金4200万ユーロもの大金を支払った。
 
2012年はシチズンにとって忘れることも出来ない特別なシーズンとなる。チームは最終節QPR戦にて勝てば得失点差でシティの優勝が決まる状況だったが、後半途中で相手が10人になったにもかかわらず、QPRの前に2点を奪われ、1-2で逆転を許していた。しかしロスタイムに入り、まずジェコのヘディングシュートで2-2とし、最後はアグエロのシュートが93分決まり、3-2の逆転勝利で超劇的な44シーズンぶりのリーグ制覇を果たした。この当時の試合の映像は感動的なものであり、まさにその様子は天国と地獄そのものであった。


Manchester Cityスタジアム詳細

正式名称: Etihad Stadium
開場日時2002年7月25日
設計者: Arup Associates
: 天然芝
収容人数: 62000
規模: 105 x 68 m
建設費用: £112 million
所在地: Etihad CampusManchester M11 3FF


エティハド・スタジアムの歴史とオープニング・マッチ

 

シティの新しい歴史の幕開明けは新スタジアムEtihad Stadiumと共に2003~04シーズンより始まることとなる。クラブは市からスタジアム賃貸契約を締結し、シティ・オブ・マンチェスター・スタジアムにてプレーを始める。シティはユニフォームスポンサーでもあるエティハド航空と10年間の命名権契約を結び、2011年よりEtihad Stadiumとなった。

2000年夏季五輪の招致に失敗したマンチェスター市が当初建設計画していた陸上競技場は、引き続き2002年コモンウェルスゲームズ(英連邦大会)の主競技場として計画を継続された。2000年1月に着工し、2002年7月に陸上競技場として完成した。こけら落としはコモンウェルスゲームズ開会式であった。この大会では開閉会式、陸上競技と7人制ラグビーの会場となる。 シティはメイン・ロードに代わる新本拠地とするため陸上トラックの撤去工事などを行い、2003年8月にフットボール専用スタジアムとしてリニューアルした。シティの新スタジアムのオープニング・マッチはFCバルセロナの親善試合であった。2010年10月、マンチェスター市議会とクラブは、同スタジアムの250年に及ぶ長期の賃貸借契約を締結した。